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ウォン・ウィンツァン・ジャズトリオWIMのセカンドアルバム
「WIM2 ON THE SMALL ROAD」ライナーノーツ(中川ヨウ著)より、
ホームページ読者のみなさまのために一部抜粋してご紹介します。
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音になったヴィジョン |
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ウォン・ウィンツァンの音楽活動を見渡してみると、童謡からジャズまで多岐にわたっていると言う人がいる。
でも、私はそうは思わない。
反対に、ウォン・ウィンツァンほどその活動が一貫している音楽家もめずらしいと思うのだ。
それをひとつのことばに置き換えると、「即興演奏家」ということになるのではないだろうか。
彼のピアノを(唯一無二という本来の意味で)ユニークなものにしているのは、
魂から湧き出るインプロヴィゼーションで綴られるソロ・ピアノであり、
童謡で私たちの耳を奪う、旋律とはまた異なる即興パートでの美しい流れだからだ。
私は「DohYoh 」を初めて聴いたとき、そこにこめられた澄みきった情感の深さに抱かれ、気がつくと涙していた。
いつ涙をこらえきれなくなったのかを思い出してみると、彼の即興演奏が始まったときだったと思う。
ウォン・ウィンツァンが即興で生むメロディは、限りない許しに充ちていて、
ただ耳を傾けているだけで許されたと感じたときのことだった。
ウォン・ウィンツァンは、そこでピアノを弾くことで、世の中に起こるすべてのことを許していた。
聴く者を、そして誰よりも自分自身を。
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(中略)
ジャズ作品でも、ウォン・ウィンツァンは「即興演奏家」として素晴らしかった。
元来ジャズという音楽が、即興演奏があることでその独自性を生んでいるのだから、
その才能がとても自然な形で発揮されることになる。
このジャズでのウォン・ウィンツァンは、即興というある人々には御しがたい翼を自らの背中にたくわえ、
自由に飛翔し、あるがままに気流にのり、止まり、仲間の声に耳を傾け、彼の物語を語っていく。
彼には言いたいことがあった。それが音楽の支柱になっており、だから彼の物語は終わることがなかった。
ウォン・ウィンツァンのジャズを聴いて、初めて思い至ったことがあった。
彼はプロのミュージシャンとして、19年歳のときにジャズのフィールドで活動を始めた人だが、
後年彼が精進の末に獲得する「即興演奏家」としての特質は、このジャズを源にしていたということをだ。
ジャズは演奏家に「今」「ここ」にあることを、否応なく要求してくる。
そして裸になれと、言ってくる。自らを正も負も含めてあるがままに受け入れられなければ、即興演奏などできないからだ。
彼はジャズが示唆したそういった事柄を、ソロ・ピアノという形をとり永い年月をかけて一人で達成してきた。
そして近年になってやっと、自らにまたジャズを演奏することを解禁したのだった。
そのとき彼の呼びかけに応えて、30年前のオリジナル・メンバーといっていい2人が集まったことは、
天からウォン・ウィンツァンに授けられたご褒美だった。
この3人が集まることで、ここにあるジャズは「青春の忘れ物をひろう作業」から、
「青春時代には果たせなかった夢を叶える」シナジー(共働作用)へと昇華した。
3人の頭文字をとって98年に生まれたWIM。
それは再生と呼ぶには、あまりに以前とその音楽のあり方を変えていた。
市原 康(ds)はこの30年の間、スタジオの世界で活躍するなかで、信仰の上に立った自分の音楽というものを模索してきた。
もう一人のメンバー、森 泰人(b)はウォンが70年代初頭にグループを休止した後もジャズ・シーンに残り、
スウェーデンに渡り、今もそこを拠点に活動している。
スタン・ゲッツのヨーロッパ・ツアーやトゥーツ・シールマンスの北欧やドイツでのお気に入りの共演者でもあり、
かの国のジャズ・ミュージシャンを日本に紹介し、交流することにも力を注いでいる。
そもそも彼がウォン・ウィンツァンをスウェーデンに招待したことから、3人のリユニオンが始まったのだ。
ウォン・ウィンツァンのジャズは、いわゆるジャズとはちょっと違って聴こえる。
それはWIMの音楽が、ジャズにありがちな難しさから解き放たれているからだ。
「WIM 2 On The Small Road」を初めてプレイヤーにのせ、その音楽を聴いたとき、
夏の暑い日に小川のせせらぎに足をつけたときのような爽やかな喜びに充たされていった。
彼ら3人は大変なテクニックの持ち主なのに、それをひけらかすことなく、
誰も目立とうともくろみもせずに、ひたすら音楽に献身していた。
たっぷりととられた音の間に、このトリオにあっては静寂が4人目のメンバーなのだと感じた。
その間に私たち聴き手も自らのエモーションをこめて、そのジャズを自分のものにすることができたのだ。
そこでの3人は語り、注意深く聴き合い、どこまでも楽しそうにジャズを生んでいたが、
ウォン・ウィンツァンがもつ清明な音色とフレーズ、市原 康のドラムが醸し出す大きな優しさ、
森 泰人のベースが伝えてくる深い想い、そのどれもがここでは欠かせない音楽の基盤になっていた。
収録されたのは6曲のウォン・ウィンツァンのオリジナルと、コスマが残したシャンソンの名曲〈枯葉〉、
そしてジュール・スタインが書いた〈I Fall Iin Love Too Easily〉というスタンダード・ナンバー。
それは99年の中野ゼロ・ホールでのライヴや、2000年から2001年にかけてSatowa Studioで録音されたものだ。
親密な3人のやりとりは、多くの曲ではユーモアまで感じさせて、
これもシリアスな顔をしたジャズが多い中にあってWIMのジャズをユニークなものにしていた。(中略)
ウォン・ウィンツァンは、こうも語った。
「WIMを今やるプロセスのなかで、昔漠然ともっていたヴィジョンが形をとり始めたということはある。
昔受けたインスピレーションの意味が、今やっと解ったんだ。
意味が理解できたからWIMを始めたのではなくて、始めてみたら解き明かされてきた、という方が真実に近いね」。
私にはWIMの3人が様々な人生の試練と音楽的な冒険をこえたのちに、
このシンプルなジャズにたどりついた今の有り様を、美しいと思う。
30年前に新宿ピットインで髪をふりみだしてピアノと格闘していたウォン・ウィンツァンや、
若くてもっと鋭い目をして難しいことをやっていた市原 康と森 泰人の勇姿もいとおしいと思うが、
日常のなかで共に暮らしたいと願うのは優しく易しい今のWIMのジャズだ。
WIMのジャズがあると、生活のなかで、ふと自分の呼吸が深くなっているのに気がつく。
その深く長い呼吸を許すWIMのジャズと、トリオの3人のここまでの道すがらに感謝して、今日もこの「小さな路」を歩く。
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2001年春に |
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※「WIM2 ON THE SMALL ROAD」ライナーノーツより抜粋転載 |