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「いのち」たちの織りなす深遠な世界からの旋律

限りなく優しく透明なサウンドのルーツを探求して
ピアニスト・音楽家 ウォン・ウィンツァンさん

クオリティを追求したスタジオで

(実際のアルバム作りが行われているスタジオでインタビュー開始。にこやかに迎えてくださるウォンさん。 お茶を飲みつつお話を聞く)
※R...リ・メンバー
※R. すべてのアルバムはこのスタジオでつくられたのですか?
ウォン そうですね、ほとんどの曲がここで創られています。録音もここです。
R. ジャズのセッションアルバム[WIM](We In Music)もここですか?
ウォン そう、この狭いスペースにドラムとベースとピアノを持ち込んで、ここで演奏しました。
R. えっ、すごいですね。(広いスタジオで録音されていたと思っていたので、少々驚きました)
ウォン そうですね(笑)。こんなに小さなスペースでやっていたんですよ。 でも、サウンドはそういったことを全然感じさせないでしょ。
R. そうですね。ウォンさんの音楽を聴いていると、とても空間が深いというか、すごく広がる音が聞こえてくるのですが、 場所とかそういうものは全然関係ないものなんですね。
ウォン いや、やはり関係はあるでしょうね。 ひとつの理由としては演奏への取り組み方に答えがあると思います。 あとは、CDを制作するエンジニアがやはり良いのですね。
普通のスタジオではクオリティは追求できにくいのです。 一般のスタジオというのは、操作性や安定性など、もっと違ったものに比重をおいているのです。 こういうスタジオというのは、そういったものよりもダイレクトに生の音を録音する点で強いですから、余計なものは何もないのです。 シンプル・イズ・ベストなんですね。 だから、かえって普通のスタジオより音は良いのです。
R. なるほど。 何回も繰り返し引かないで、即興ででてくる音をそのまま録音されているアルバム(インプロビゼーション・アルバムのこと)もありますよね。
ウォン はい、そうですね。レコーディングスタジオでレコーディングすると、例えば1時から6時迄といった限定した時間の中ですることになります。 でも、ここではやりたいときに、やりたい方法でレコーディングをすることができます。 ほんとうに自由に。

メロディが生まれるまでの過程

R. ウォンさんの中では、こんな音がでてくるとか、そういうことがわかって弾かれているのか、それとも自然と指が動くようなものがあって生まれてくるのか、どちらなのでしょうか?
ウォン そのあたりは、すごくデリケートというか、微妙なんですが‥‥。 例えば作曲のことでいうならば、いきなりピアノを弾き始めて、あるひとつのフレーズというか、雰囲気なり、気分なり、景色なりが出来上がったときに作曲というものが出来上がることがあるのです。
というのは、ある程度自分が今求めているものが見えたときに、音楽として音として、具体的に音にならなくても「曲ができた」と言えるのです。 最近、作曲したものには、資生堂の化粧品があって、そのためのテーマ音楽を創るというオーダーがありました。
プロデューサーとやりとりしている間に、どういうコンセプトで、どういうマインドで、その化粧品を創っているのかという、ことがポーンと見えたと思うときに、曲が自然と出てくるのです。

サウンドの宝庫のスイッチを開いて

R. ある程度、こんな様なものというのがあって、ピアノに向かうのですね。
ウォン なんと言うのかな、宇宙にワーッとたくさん、いろんな音楽が有象無象にたくさんあるわけですよね。 自分の中にいろんな音楽分野のスイッチがあって、ジャズだったり、クラシックだったり、もっとスピリチュアルなものであったり、いろんなスイッチがあります。そのスイッチをどう入れるかというだけのような気がしますね。 そうすればそのスイッチから、自然に出て来るという感覚です。
R. では、ジャスのスイッチを入れるとジャズっぽく出て来るという感じですか(笑)。
ウォン ウォン そうそう(笑)。

ウォンさんがはじめて音楽にふれたとき

R. なるほどねー。プロフィールなどを見させていただきますと、一九歳の時にデビューされていますが、もともと音楽に出会ったというのはおいくつぐらいの時だったのですか?
ウォン すごっくさかのぼってみるとね‥‥。小学生かな‥‥。
(しばし沈黙)
昔、僕は幼児教育でピアノを習わされていたのですよ。
R. ご両親も音楽に関わる仕事だったのですか?
ウォン いや両親は音楽にはあんまり関係がない人達でしたね、父親は華僑でしたから、とにかく忙しいビジネスマンでしたね。 母親は音楽は好きでしたが、自分で演奏したりということはなかったですね。 ただ、よくSP盤のタンゴを聴いたり、映画音楽、童謡などを僕に聴かせてくれましたね。
そういうのが僕の音楽体験の一番古いものじゃないかな。あまり記憶にはないんだけど、昔のSP盤を回すためのプレーヤーがあるのですが、
R. 蓄音機みたいなものですか?
ウォン そうそう、蓄音機。それがあったということは覚えてますね。 その後に真空管のステレオのハイファイが来たとき、今度はLP盤になったのですが、すごい感動したのを覚えてますね。
「すごいいい音だ!」っていっていて。 その時に、真空管のアンプから流れてきた音が僕の「音の本質」の源体験だったような気がしますね。
その時にかかっていた曲が、『煙が目にしみる』という映画音楽だったのだけれども、今でもその時のスケール感や感動を覚えてますね。
R. その時は小学生だったのですか?
ウォン 何歳だったんだろうねぇ、小学校だったと思います。

ギターとマンドリン

R. 初めて弾いた楽器は、やはりピアノが最初だったのですか?
ウォン そうです。幼児教育でピアノを演奏させられていたんだけども、だいっ嫌いで途中ですぐ練習をにやめていましたね。
自分で楽器を弾こうと思ったのは、小学校二年か三年の時に「あの楽器が欲しい、あの楽器が欲しい」と思っていたのですが、その楽器が"ギター"だということがわかりませんでした。 だから、一生懸命お願いするんだけど、「それってマンドリンだろう」と言われて、「そうそう、それだマンドリンだ、マンドリンが欲しい!」なんて言っていてましたね。
一生懸命おじいちゃんにお願いして買ってもらって、来たら自分のイメージしていた楽器と違う楽器なので、全然弾かなかった思い出がありますね(笑)。
何でこんな話しになるんだろう? こんな話をしたのは初めてですね。
その頃、僕の叔父が一緒に住んでいてハイカラな早稲田の学生で、けっこうジャズのレコードを買ってきていて、これが僕のジャズ体験の初めてですね。
そして、彼がウクレレを持ってきていて、僕はそのウクレレを上手に弾いていましたね。 叔父の同級生などに弾いて聞かせた覚えがありますね。
R. その頃はピアノを弾いていたのですか?
ウォン 多分その頃はやめてましたね。ピアノを習った人なら分かると思いますが、とても形に厳しい先生で音楽を楽しむということを教えてくれなかったですね。
R. ピアノを弾いていて楽しいという思いでは?
ウォン そのころは、一度もなかったですね。ウクレレの後はトランペットを吹きました。
中学校にはいるとトランペットを吹きましたね。 その後に、ギターを弾いて、中学校の最後の方にはドラムをたたいてましたね。それはそれは楽しかったですね。
R. では一通りバンドで使うような楽器は体験されていたのですね。 高校や大学は音楽学校に行こうとは考えられなかったのですか?
ウォン いや、考えましたね。普通の学校に行ってもしょうがないから、音楽学校に行こうと思っていました。 でも、親父からは反対されました。 実をいうと、そんなに真剣に音楽学校でなければだめだとも思っていなくて、学校行かなきゃならないんだったら音楽学校に行こうかなぐらいの思いでしたね。 ですから、東京音楽大学の作曲家に入ったのですが、半年も行かなかったですね。
R. じゃあ、一度は音楽大学に入られたのですね!
ウォン そうです。でも、女性が多くてあんまり慣れなくて嫌だったのですよ。ホントかな?(笑)

初めて作曲した曲がきっかけになって

R. 自分ではじめて作曲した曲は、いつ頃でどんな曲だったかは覚えていらっしゃいますか?
ウォン そうですね、覚えてます。中学校の時に学校で課題曲を作曲しなさいというオーダーがでたのです。 その時に僕はピアノではなくてリコーダーで作曲したのを覚えてます。 そのメロディーは演歌みたいな音楽でした。
R. そうだったんですか(笑)。
ウォン でも、すごく先生には気に入られたようで、直接は誉められなかったのですが、すごく僕を評価する動作をしてくれたのです。
その曲にコード(和音)を一緒につけてくれたのですが、その時の和音はこっちの方がいいかもしれないよ、といって一生懸命サポートしてくださったのです。
その印象がすごく大きかったですね。 自分が音楽という道に進んでいく一つのモチベーションになったと言えますね。今でも曲は覚えてますよ。
R. 弾いてくださいといえば弾けるぐらいですか?
ウォン そうですね、弾けるぐらいです(笑)。 でも、弾くのは恥ずかしいですねー。 それが作曲したいちばん最初だったと思います。
だから、作曲を始めたのは決して早い方ではなくて、作曲家になろうと思っている人達はもっと早い時期から作曲を始めていますよね。
わたしの息子などは、音楽の道に進むことを決めて今いろいろとやっていますが、彼などはすごく早い時期から作曲をしてますからね。

音楽に向き合えていなかった頃

R. 中学や高校の頃のウォン少年は、将来何になろう、何の仕事に就こうと思っていたのですか?
ウォン 何もなかったですね。 音楽を選んだというのも、自分で考えてみると不思議な感じがするのですが、自分で音楽を職業にするという意識は全然なかったですね。
中学、高校、大学に行っても、プロとして演奏活動しようという思いはなくて、演奏してお金をもらうという活動をしていても、何処かでアルバイトという感じがしていましたね。
僕は今の演奏活動を始める様になったのは、今から一〇年ほど前で‥‥。九〇年ごろだからね。
[SATOWA MUSIC]をつくる前は、いわゆる裏方の仕事をしていたのですが、自分が他にやることがないから音楽をやっているという感覚で、音楽にしっかりと「向き合えている」という感覚は持っていなかったのです。
R. では、あるミュージシャンから依頼が来たら、そこに行って弾いていたという感覚ですか。
ウォン ほぼそんな感じですね。 ずっと本物の音楽を求め続けていた時期が長かったのです。 ですから、、それを見つけられなかった時代というのは、自分にとっては「音楽は何時でも辞められるもの」という感じだったですね。
自分では本物の手応えを感じてやっていたわけではなかったので、辞めるきっかけもなかったし。 他に何かがあるわけでもないし。 だから、音楽をやっているんだけど、音楽を辞めたら他に何が残るかというと、何もない。 後は死ぬだけかな‥ていうような。
R. では、自分というものもはっきり見えていなかった、という感じですか?
ウォン 全然、見えてませんでしたね。何かが見えてやっていたわけじゃないから。
音楽というのは自分にとって大きな存在ではあったのですが、自分にとって決定的な意味を持たせるだけのパワーが自分になかったというだけでした。 一九歳ぐらいからプロとして演奏活動を始めたのですが、結局二十二歳頃にはいったん演奏活動を辞めてしまったのですね。

二十年の苦悩の季節

R. ピアニストとしてスタートしたのですよね。
ウォン 当時は江夏健二という名前でジャズのセッションに参加したのですが、そんな俳優みたいな自分にとってはふざけた名前を付けるぐらいだから(笑)、本気でやっているわけじゃないんだよね。 そうして、三年ぐらい経ったあとに、ようやく音楽というものに「本質」というものが存在するのではないかということが見えてきて、それで十九歳から三年ぐらいやってきたことは嘘っぱちで、自分が何も見えていなかったということが分かりましたね。
それを知った途端に公で演奏することができなくなってきて、演奏することそのものができなくなりました。 それで辞めて、その後しばらくしてスタジオミュージシャンとして働いたり、タレントさんのバックとして働いたりと「仮の仕事」をフリーターのような気持ちでやっていたのです。
R. その期間は長い期間でしたね。
ウォン そうですよね。ソロ活動を始めるのが四十からですから、ほぼ二十年の間ですね。 その間、宙ぶらりんの「求め続けてはいるんだけれども、まだ見えていない」という感じでした。 その時は楽しいという感覚はなかったですね。 ずっと、グループの演奏をしていたりしても、自分の音楽をやっているという感覚はなかったです。
年に一度ぐらい、上から降りてきていい演奏をすることがあるのですが、その他の演奏はほとんど苦しかったですね。
R. その時はあらゆるジャンルの音楽のサポートをしていたのですね。
ウォン そうですね。テレビコマーシャルの作曲をしたりとか、いろんなジャンルの音楽のバックをやっていたりしたので、その意味では今となっては逆に良い勉強だったんだなと思いますね。 技術としての作曲力や演奏力はおかげで付きましたよね。裏方としてやっていたおかげで。

自分を変えた瞑想

R. そのような辛い状況から、大きな転機となった出来事は何だったのですか?
ウォン 三十代の後半ぐらいになって、二十代からそれまでに追い求めていたビジョンが維持できなくて、体力も尽きてきて、先が見えなくなって、もう辞めようかなと思ったときに、たまたま「瞑想」というものに出会ったのです。
それが、大きなきっかけとなって、今まで理屈で音楽や生き方を求めてきたものが、フーッと言葉ではなくて感覚で感じ始めたのです。
非常に直観的なことなので、言葉ではいいにくいのですが、瞑想を始めた瞬間に何となくスコーンと抜けるようなものがあったのです。
R. そうですか、ようやく光が見えてきたのですね。 では、それからのご活躍のことや新たな気づきのお話は次回またお伺いしたいと思います。

【取材雑感】限りなく優しいウォンさんの音楽の背景には、大変つらい時期を過ごされたという体験があったようです。 だから、人々の心を深い部分まで震わせる音を生み出すことができるのでしょうか。そんなことを考えました。

■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■ 


YESもNOもない世界

ウォン 私の習った瞑想法はテクニック的にはとても優れていて、どんな人にでもとりつきやすく、効果の高いもので、非常に合理的にできているメソッドでした。
R. それを通じて、自分らしさとか、自分らしい音楽を発見するきっかけとなったということなのでしょうか?
ウォン そういうことでもありますね。 「自分を肯定する」ということがよく世間で言われていると思います。 でもそれを、理屈で肯定するのではなく、存在そのものにYESと言い切るというか、自分が存在そのものになっていることにYESもNOも言わない、その断定すらも必要ない状態があるのだとおもいます。 つまり、一段上の世界から自分を見ていれば、YESやNOという判断がありますよね。 でも、判断するものとされるものが同じ次元にいれば、YESもNOも無い、上も下もないような、そのものの存在が「在る」のではないかと。
瞑想の体験というのは、優劣のある世界ががすべて統合されていく感じで、世の中で自が生きてきた外側についていたものが取り払われて、"そのもの"になっていって、そのものになったときに、YESでもNOでもない世界、存在そのものだということを感じたのです。
そういう体験を積み重ねていくうちに、自然に自分が存在していることにYESと言えている自分があるということに気づきました。
例えば、自己嫌悪に陥っている人に「自分を認めなさいよ」と言っても、難しいことですよね。
R. そうですよね。
ウォン そういう認める認めないと言う世界ではなくて、自分が存在そのものになっていて、YESとかNOという必要もないという意識が瞑想を通じて育ってきました。
R. それが「抜けた」と言うことなのでしょうか。
ウォン ですね。
R. それからのウォンさんの音楽は変わっていったのですね。
ウォン あのー、音楽が変わっていったというよりは、音楽をやっていくことがすごく楽になったということでしょう。
演奏するという行為はとても身体的な行為でもあり、マインド的な行為でもあるわけです。
演奏は全身的な行為なのですよ。そして、演奏というのは神経系統が働くので、その神経系統がクリーンでなければ演奏はできない。 逆に言うと、身体が楽になっていれば演奏がしやすいのです。
人間というのは、意識の中のどこかで操作して、自分をよく見せようとするところがありがちです。 音楽家で言えば自分の演奏を上手く見せようとするというような。 でも、そういった頭で考えることが不必要だと言うことが分かりました。
例えば、演奏が上手くできなくて「ここのところはもっとこういう意識を持って演奏しなければ‥‥」といった類の頭で上手くなろうとしていたことですね。
そういった想いは不必要で、自然に自分が演奏を続けていくだけで、それに必要なメカニズムが育っていくというか‥‥。 瞑想していくと、そういうことができるようになっていったのです。

瞑想がすべてを統合していく

R. 今までのたくさんあった経験が材料となりながら、その演奏に集約されて来るというような?
ウォン そう、今まで学んできたもの、ストックだったり、培ってきたもが、表に出していくプロセスで自然に身体の中に統合されて、出来るようになったのです。
R. なるほど。 ちょっとこれは私が興味本位で聞いてみたいことなのですが、経験やストックなしでいきなり自分のスピリチュアリズムというか直感だけでヒーリング音楽をやっている人と、ウォンさんのようにスタジオミュージシャンを長年やってきて経験を積んだ後に、瞑想などを通じて深い部分の気づきを得た方のインスピレーション音楽とは明らかに違うものなのでしょうか?
ウォン 質問の意味を私が捉えているかどうか分かりませんが、音楽のエッセンスがその人の身体から表出されてくるときに、その人の今までの蓄積だっだり、技術だったりするものは、本質的には関わりがないだろうと思います。
その人が音楽家であるとか、音楽家でないというのは関わりがないということです。 だからといっても、音楽家であろうがなかろうが「あれ、どこにスタンスをとって音を出しているのかな」と聞いていて思うような人もたくさんいます。
音を出すポイントは、音を出す瞬間に自分の奥底にある音楽の本質そのものに触れて音を出しているか否かだと思います。
そのことはプロとかアマは関係ないと思います。アマチュアの音楽家の方で瞬間的にそのような音をたくさん出せている人を僕はたくさん知っています。 瞬間的にそういった音を出せる人はいるけれども、コンスタントにその音を出せるかどうかと言う話になると別です。 もし、プロとアマに違いがあるとするならば、あると思います。
では、プロのミュージシャンがそれをコンスタントに出来ているかと問われると、一概に言えませんけれどね(笑)。

本来の音楽は衝動的本質を表出するもの

ウォン 人間が音を出したり、声を出したりする音楽活動は、もともとをたどれば本質的な世界に触れたときの衝動的行為だと思うのです。
僕たちは文明や文化の長年の流れの中で、本質的な衝動というものを覆い隠されたり、見えなくなったりしているわけですが、どんなにそれを覆い隠されても、否応なく表出するぐらいのエネルギーが在るとも言えるのです。 その人がある瞬間、ある状況、ある意識の時にエネルギーが爆発してポーンと出てくることがあります。
僕がずっと自分の音楽を見つけられなくても、なぜ持続して音楽を追い求められたかというと、年に1回や2回ぐらい、そういう本質的衝動の表出があるわけです。
「僕にもそういうものにアクセスすることができるんだ」という、確信みたいなものがあったのです。
R. なるほど、その時には具体的な表出方法が分からないにしても、体調がよかったりとか、その場の環境がよかったりして、年に一、二回ドーンと降りて来るというようなことがあったのですね。
ウォン 降りてくるんだよね(笑)。 でも、それは体調とか環境とか関係ないんだよね(笑)!
R. 関係ないんですか(笑)。
ウォン そう。 むしろ、逆に体調の悪いときに音が良かったりする。不思議な状況ですね。
音楽を20年追い求めてきた経緯というのは、意識的にその本質的衝動を表出させようとしても出ない、でも無意識な瞬間に出てくると言う流れで、それがイタチごっごでした。 先ほどの話に戻りますが、プロとアマの違いというのはそのことに気づいているかどうかのような気がします。
非常に繊細な世界なのだろうと思いますが、僕が自分をプロと呼ぶとするならば、そのことをある程度コンスタントに出せる状況をメソッドや瞑想や練習、意識のあり方などの色々な要素を使って、出そうと思っている(出せるようにしたいと思っている)というところなのかと思います。
アマチュアの方が音楽家になりたいのなら、まず年に一回や二回の音楽の本質的衝動に触れたときの感覚を覚えておくということですね。 その覚えがあるという人は、いつか必ず音楽家になれると思います。
R. そうでない人は、難しいというか、諦めるというか‥‥。
ウォン 諦める必要なはいと思うけれども、何か自分が覆い隠している部分(例えば、上手く演奏しようとか、ヒーリングしようというような)があると覆い隠されてしまいますね。
R. 邪な想いというものでしょうか(笑)。
ウォン そうですね、そういう想いがあると本質が見えてこないのかもしれませんね。

超越意識から来る音楽

R. 瞑想を通じて、何回もそういった本質的衝動へのアプローチを経験することによって、1990年前後から、コンスタントにレベルを保つ音楽が出来るようになったのですね。
ウォン 瞑想を始めて半年ぐらいの時に、二週間ぐらい瞑想を続けるコースがあってその最後の日に、演奏をすることになり、その時にインスピレーションがありました。
それは、古代インドのヴェーダをお経のように吟唱する人達がいて、そのヴェーダの文献の中でもサマー・ヴェーダというのがあり、その演奏の姿を見たときでした。 自分の中である、一つのインスピレーションが湧きました。それは、『超越意識で音楽を演奏する』ということだったのです。
つまり、人間の意識には様々なレベルがあって、右脳で考えるとか左脳で考えるというようなものもありますが、そういった世界をすべて越えたものが『超越意識』です。 そこに立脚してヴェーダを演奏している姿を見たときに、ピアノの演奏をするのも同じだと思ったのですね。
R. その時から大きく変わったと言うことでしょうか?
ウォン その時に大きなポイントをつかんで、年に一、二度の音楽にわしづかみされるような演奏の感覚を思い出すことが出来るようになってきたのだと思いますし、それが本質的な部分での「演奏をする」という感じなのでしょう。
「あっ、そうか音楽を演奏するとはこういうことなんだ、自分の意識を取り除いたときにはじめて音楽はやってくる、自分が意識的に操作して音楽をやるのではなく、自分を解き放って、自分の本質に自分自身がつながったときに、音楽は寄ってくるんだな」ということが分かったのですね。
R. 今演奏されているウォンさんの音楽は、こちらも聞くと心が落ち着いたり、透明になるというか、心地よくなるという音楽だと私は感じています。 そういう音も「こういったジャンルでこの音を出そう」と意図的に思っているのか、いわゆる『超越意識』から自然に流れてくるものなのかどちらでしょうか? とても微妙な話なのですが・・・。

シンプルで弾きやすい音楽を

ウォン 瞑想の体験がとても大きくて、瞑想をしているときは気持ちが良くて、エーテルの海の中を泳いでいるような感覚です。 「あの感覚をそのまま音楽に出せないかな」というのが自分の演奏スタイルのポイントだと思います。
瞑想しているときの変成意識状態が音に刻印されるようなスタイルがあると思います。 でも、それは自分がヒーリング音楽をやりたいとか、人を癒そうと思って音楽をやるということではなくて、一番自分がその時に『超越意識』になれるような、音楽を演奏したいと思ったのです。
その時には、まず「シンプルであること」ということがありました。 難しい音楽をやろうと思うことはなくて、音楽の本質が音の中に表出されるのであれば、それは難しい音楽であろうが、簡単な音楽であろうが関係ないなと思ったのです。
であるならば、一番シンプルな音をやってみようと。 そして、自分が一番弾きたいテンポや自然にでてくるスピードが、たまたま雲が延々と流れていくようなテンポだったり、波が寄せ返すテンポだったり、川が蕩々と流れるテンポでした。 決して川が速く流れるテンポではありませんでした。
R. その瞑想体験を通じてまとめられたのが最初のアルバム『フレグランス』なのですか?
ウォン いや、瞑想の体験を通じて、その瞑想的なものから得られたイマジネーションをそのまま音楽にしたのは『MOON TALK』というアルバムでしたね。 『フレグランス』はもう少しポップな分かりやすいメロディにフォーカスしたCDですね。

SATOWAの心

R. なるほど、興味深い話が多いですねー。 ところで、ウォンさんのレーベルの『SATOWA MUSIC』の「さとわ」とはどういう意味なのですか?
ウォン 初めてのアルバムを生み出す頃はちょうど瞑想を始めた頃で、音楽の本質のようなものを掴みかけていて、アルバムを作りたいなぁと思っていると、あるレーベルから声をかけてもらいました。
しかし、音楽業界のいろんなシステムや販売のメカニズムなどの世界に自分を当てはめていくと、自分のやりたい音楽が出来ないということがわかりました。
自分が音楽をやるという行為が、自分なりに「どういうことなのか」ということのプロセスの一つ一つを手探りでやってみたいという意識が芽生えて、ワイフに手伝ってもらいながら、制作の一から十まで、販売の最後のところまで試しながらやろうということになりました。 そのきっかけになったのが「SATOWA(さとわ)」という言葉だったのです。
インドの瞑想にドップリとはまっていてその中に、サットバ、ラジャス、タマスという三つの言葉があって、その一つの「サットバ」という言葉(サンスクリット語)の意味が「純粋」「調和」「創造」という意味だったのです。 その言葉がその時の今の自分にピッタリだったのです。それはまた自分自身に求める言葉でもあったので、それを日本語的に発音して「さとわ」という言い方になりました。
R. なるほど、とても心地よい響きの言葉ですね。 でも、今までの業界の規制の中では、自分のやりたい音楽をやることが難しかったのですね。
ウォン あの当時、インディーズ(自主)レーベルでやるというのは、大手レコード会社からCDやレコードを出せない二流のアーティストがやることだったのです。 でも、自分はその時はそんな風には思わなかったのです。 逆に、自分がやりたい音楽をやるために、音楽業界のシステムに乗らないでやろうと思ったのです。
スタジオを借りてレコーディングするとなると一時間何万円とかかって、ゆっくり制作をすることもできない。 でも、ピアノ買ってきてここで演奏できる環境を作っておくと、好きなときに、自分のインスピレーションが湧いたときに弾けばいいわけですから。 しかも、自分の好きなピアノで、レコーディングしたい音で、時間もかけて手間もかけられる。 音楽的な内容はまず自分の家でやらないとまず無理だろうなと思ったのです。
アルバムの『Doh Yoh(童謡)「』などは作るのに4年もかかってますからね(笑)。 それでも、そのことを毎日やっていたわけではなくて、春と秋ぐらいにそれぞれ数日かけてやったのですが。
R. そうなのですか! 『SATOWA MUSIC』をつくられてから十数年が経つのですが、その経緯の中で自分の音楽がさらに大きく変わったということがありましたか?

安定期に入る前の浮き沈み

ウォン どんどんと変わってきましたね。加速度的に(笑)。 十数年前に自分の音楽を始めたといってもまだまだ流動的でしたし、本当に確信を持って演奏できるには時間がかかっていますよね。 そういう意味では何度もアップダウンがあって、今までにない素晴らしい音楽を演奏するときもあれば、体のバランスを崩してしまう時も何度もありました。 ただ、不思議なことにこの4年ぐらいは安定期に入ったというか、自分のバランスの取り方が上手くなったのでしょうね。
R. 何かそのコツを掴んだのですか?
ウォン いいえ、ただこれ以上バランスを崩すと生きていけなくなると思ったからですよ(笑)。
少しは自分でも利口になったんじゃないかと! 安定期に入ったというポイントは、自分でも不思議なのですが「これから安定期に入る」ということが自分でも解ったということですね。
正確にいうと、瞑想を通じて自分が自分を解り始めたということなのだと思います。 そのバランスを崩したというのは、自分のことを「許して」いく中で、自分以上のものを自分が求めてしまうということが一つありましたね。 よく、瞑想中に神様などにあってしまうと途端にヒーラーになってしまう人がいますよね(笑)。
R. ええ、まあ‥ありますね(笑)。
ウォン 僕もそのたぐいだったと思うのですよ。すごく自分自身でもバランスが悪かったのだと思います。
どんどんと自分が自分に押さえつけていた、抑圧なり、欲望のようなものを外してあげたいという意識が強かったのだと思います。 その結果として、無理に解放させようとした結果アンバランスになった。 もちろん、瞑想を始めることで自分自身を見つめるのですが、今までの自分の抑圧していたものが外に出たのですね。
そういったものを出さなければならなかったのだと、今振り返ると僕自身思うのです。
それがある程度出てしまうと、自分自身が解ってきますから自然とコントロールできるようになりました。 なおかつ、自分自身の本質をを見定めることができるようになり、上手い表現はできないけれども、やはり「利口」になったんだと思いますね。
R. 経験なり、もっと瞑想が深くなったということなのでしょうか。
ウォン もう一つ、「倒れてなんていられない」と思ったのですね。(笑) 音楽がすごくやりたくなったのです。
音楽をこれからどんどん作っていきたい、強くいい仕事をしていきたいと思うなら甘えてられないなと思ったのです。
R. なぜ、自分の音を作りたいとか、曲を作りたいとか思い、何を伝えようとしているのでしょうか?
ウォン もう、そのことすら見返している時間はないという感じです。(笑) そのことに疑問を持つ時代は僕はすごく長かったのです。 自分は何で生きていて、ここにいて、音楽をやろうとしていくことって何なのだろうか・・・と。 誰のために、自分のために、人のために、宇宙のために・・・?
それすらも考える暇もないぐらいに、今は音楽を作りたい気持ちが一杯です。

意味づけが無くても揺らがない自分

ウォン 僕は中学時代に校内暴力を受けたことがあって、非常にニヒリスティックなものの考え方をする人間になってしまった時代があったのですよ。 それは1987年の瞑想を始めたあとも引きずってきたのです。 今は、自分の人生を肯定的に歩んでいますけれども、基本的なところで、本質的に人間の価値というのは無いのかもしれないと思うことがあったりしますが・・・、もうそんなことも構わないぐらいに音楽を作りたいのですね。
ある意味、僕が強くなったり、自由になったと自分で思うのは、『何の意味づけが無くても、今生きていける』ということですね。
R. 『何の意味づけが無くても生きていける』ですか?
ウォン 人間の生というのは価値があって、意味があって、宇宙のためにどうだこうだという考え方がたくさんありますよね。 例えばの話、ニューエイジでは『生きているものすべてに意味があるのです』といいますよね。
でも、『あなたには全然意味がありません』とたとえ誰かにいわれても、動じない自分がいるんですよね(笑)。
ああ、そうか僕は意味がないんだよね。でも、音楽やりたい! というような気持ちが強いですね。
R. なぜ音楽なんでしょう?
ウォン それも理由が解らない(笑)。 僕は音楽に惹きつけられたし、今は音楽をやっているわけだけど、それが何故だかは解りません。 でも、それでも何も揺らぐものがないのですね。
もう一つ言えるのは、例えば僕が耳が聞こえなくなったとするでしょ。 または、事故で両腕がなくなったとする。 そうすれば、僕は音楽家でなくなるのだけれども、実際にその状況になってみないとその時のことは解らないかもしれないけれども、今の僕の気持ちから思っていることとしては、その自分を受け入れる自分でいられるだろうと思うのです。
音楽家でなくても、そうなった宇宙の流れを信じていると言った方がいいのかもしれませんね。
「何で自分だけこんな目に合わなければならないの?」とは言わないだろうなと思うのです。
それだけ、自分が存在していることに対しての揺るぎないものが「在る」ということを知り始めているのでしょうね。
R. なるほど。瞑想を通じて、自分に出会い、自分の中の葛藤や経験を乗り越えていくことで、揺るぎない自分の存在を見つけられたのは素晴らしいことですよね。 何かとても力が湧いてくるようなメッセージでした。 これからも、わたしたちの心に心地よい音楽をたくさん聞かせて下さい。
貴重なお時間をいただき有り難うございました。


以上は、雑誌「リ・メンバー」26号(2001年8月発行)、28号(2001年12月発行)に掲載されました。
このインタビュー記事をweb上にUPするにあたり、「リ・メンバー」編集長 宝正隆志氏にご快諾いただきましたことを感謝申しあげます。

「リ・メンバー」につきましては下記へ直接お問い合わせください。
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