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| ユートピア: |
ミュージシャンとして演奏活動を始めたのは、いつごろからなのでしょうか。 |
| ウォン: |
プロとしての活動は、ジャズのミュージシャンとして19歳から始めました。ジャズの老舗で新宿にあるピットインやニュージャズホールといった前衛音楽を主体にやっているライブ・ハウスなどで演奏活動を開始したんです。時代的には安保闘争があったり、ベトナム戦争があったりと否定性の強い時代で、音楽も否定的なものが注目されるような傾向にありました。そういった時代背景と中学時代に受けた校内暴力の体験から形成されてしまった厭世的な感情が音楽の傾向にも表れていました。激しく攻撃的なスタイルを好んで演奏し、一時はけっこう売れて知名度は上がったのですが長くは続きませんでした。 |
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その後すぐスタジオ・ミュージシャンとしての活動にはいりましたから表立ったアーティストとして活動は、89年の「フレグランス」からなんです。そのCDも初めは、けっして売れたわけではないんです。徐々に徐々に売れるようになって今に至っています。知名度という意味では「Feel」が売れて200万近くなった時に知名度的には大きくなったと言えるんじゃないかと思います。 |
| ユートピア: |
ジャズに始まってどのようなプロセスを経て、現在の音楽スタイルになったのでしょうか。 |
| ウォン: |
演奏活動を始めて5年くらい経った頃に、音楽には何かどうしようもなく存在感をもっているものがある、ということを感じ始めたんです。ある音は光っている、光り輝いている音がある。そういう音をだしているミュージシャン、アーティストがいる、ということに気付き始めたんですね。つまり、その音を「音楽の本質」というのかもしれないんですが、その頃そういう本質的なものが世の中にはあるんだ、ということにようやく気がつき始めたんです。それまでの音楽スタイルが破綻してゆくと同時に「音楽の本質」という新たに得られた音楽のビジョンを追い求め始めたんです。 |
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演奏活動そのものは一線から退いて、いわゆる音楽業界の裏方さんのような仕事をし始めてゆくんです。例えばテレビ・コマーシャルの作曲とか、スタジオ・ミュージシャン、スタジオで与えられた譜面を演奏してゆくような仕事ですね。野口五郎さんや渡辺真知子さんといったタレントの方たちのバック・ミュージシャン。そういった仕事を主に生業にしていきながら、音楽のビジョン、音楽の本質を追い求めてゆくんです。音楽技術の向上を目指したり、作曲法なりの技術を高めたり、もしくは、たくさんの音楽スタイルを勉強したり、というようなことをやりながら暗中模索してゆくわけです。いろんな方法を試みるんですが、その「本質」みたいなものがなかなか得られない。
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非常に長い期間、24歳くらいからTM(超越瞑想)を始める35、6歳くらいまでの間ズーッと追い求め続けるんですけれど、なかなか辿りつかないんですね。どうしても手に入れることができない。自分の否定的な感情なり、考え方なり、性格というものも好転させてゆきたい、直してゆきたいという気持ちもあるんですが、それもなかなかうまくゆかない。その頃、思想を勉強したり、本を通していろんな考え方を勉強してゆくんだけれど、言葉の上で自分を肯定していっても実質的には、肯定した気持ちにはなれない。現実として肯定したことにはならないですね。音楽もなかなか得られない、自分の考え方もなかなか変わっていかない。身体的にも非常にバランスを崩して疲労していく。結果的に人間関係もうまくいかなくなり、仕事も行き詰ってしまったんです。35、6歳くらいの頃だったと思います。もう、この先立ち行かないというような時期にTMに出会うんです。
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本を読む、宗教の類も勉強したことを通して、どの方法も自分には合わない。どの方法も自分には、解決の方法にはならないと直感的にわかっていたんですね。
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そんな時に本屋で「TM瞑想法がよくわかる本」に出合うんです。読んだ時に、非常に「合点がいった」というか、納得するものがあったんです。「問題というのは、問題そのものに問題があるのではなくて、光をあてれば良いのだ」ということが書かれていたんです。瞑想というのは、しようとしてするものではなく、人の心の中に、意識の中に、瞑想に向かおうとする傾向が自然にそなわっているんだというのをみて、これは僕にとって非常に大きな解決の糸口をあたえてくれるんではないか、という直感が働いたんです。そこで、六本木にあったセンターの説明会に参加しました。
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センターでは今井教師が説明会にあたっていました。非常に科学的に説明がなされていたんですけれど「マントラ」(真言)というものを使うということに関して一つだけ腑に落ちないことがありました。
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「マントラって何ですか?」
「乗り物です」
「マントラ」に関しては、説明できないじゃないですか。「えー」という感じで…
「マントラというのは人には言ってはいけません。先生から先生へ、先生から生徒へ直接言い伝えられていくものなんです」と。
不審に思って「何で言ってはいけないのですか?」
「営業的な理由ですか?」と聞いてみたことがあるんです。(笑)
先生は一瞬固くなりまして、「そういう部分もあります。」と誠実にお答えになりました。(笑)
先生の人柄も良い印象でとても納得がいって、TMを受けてみる決心をしました。 |
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それから、87年の8月30日に個人指導を受けました。
その時の体験は非常に素晴らしかったんです。マントラがどんどん小さくなっていって自分のなかに深い静寂を感じて、広い空間のなかにいるような感覚、時間の流れが日常とは違う、身をゆだねていて至福感に溢れて、その体験がとても素晴らしく、それまで追い求めていた音楽のビジョンというものが得ることができるのかもしれない。という直感を得たんです。
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「よい演奏をするためには、もちろん技術や音楽性は必要なんだろうけれど、僕が追い求めていた音楽のビジョンというものは技術的なもの、意識の操作によって得られるものではない。意識的な操作によって音楽を高めることはできない。それは、自分の意識を解き放って心の赴くまま、意識の自動的に湧き上がってくる何かに身を委ねることなんだ」と瞑想の体験から閃いたんです。超越的なレベルに身を委ねるということをその時の体験から手がかりをつかんだ気がしました。
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半年後の88年の4月から5月にかけてのゴールデン・ウィークにシディコース(TMの上級コース)を受けたんです。二週間のシディコースの中で本当に至福意識が湧き上がっていくという体験をします。純粋意識体験というんでしょうか、マントラがどんどん小さくなっていって、ある瞬間「無」の状態に入って、その「無」状態から出てきた時に全身にエクスタシーがフワッと湧き上がるような体験を通して、ようやく幸福というもの、心の底から自分を肯定するというのはこういうことなんだな、ということが体験としてわかり始めたんです。
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二週間合宿の成就パーティーのとき、近藤先生から「ウォンさんは、ピアニストでいらっしゃいますから、是非演奏してください」と申し出がありました。代謝がかなり下がっていて合宿中は普段の練習から遠ざかっていたのですが、演奏のインスピレーションを得ていましたから、瞑想をするようにピアノの前に行って自分の意識を解き放ってそこに湧き出づるものに身を委ねるということをこの機会に試してみようと思ったんです。
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そしてピアノの前に座り、目を閉じて自然に指が動き出しました。それからどれくらいの間弾いていたのかわからないのですが、気づくと演奏が終盤にきていて自然に現実に戻り、ハッと気がつくと近藤先生が目を丸々と見開いてビックリされていて、感動で涙を流している方もいらっしゃって、聴いていらっしゃったたくさんのシダー(上級者)たちが感激されていました。
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その時に「やっと自分の音楽の本質というものに辿りついたんだな」という実感を得ることができました。僕の音楽にとってTMやシディーテクニックというのは、本当に欠かすことができないものです。TMを始めて以来、性格も変わってきて非常に肯定的になってきましたし、不思議に仕事の内容もいい方向にどんどん変わってゆきましたし、人間関係も改善され、非常にラッキーなことが増えてきているというように感じます。
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そんな折89年頃にジャズの時代に知り合った、あるレコード・プロデューサーがウォンさんのCDを作りたいと思うと言ってくれたんです。89年のその頃というのは、漸く自分の音楽スタイルを見つけ出して、世の中に提示していける内容の音楽を確立していけるだろうと思い始めていた時だったので、非常にいいタイミングでその話を受けて、その時思っていた音楽をそのままCDにすることができたんです。それが「フレグランス」というCDになって89年にリリースされました。
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その出来事を通して益々自分の音楽スタイルを確立するなかで、漸く本当の意味でステージに立って人前で演奏できる自信がついてきました。ステージに立つということは、ある意味では、みんなの前で丸裸になるということですから本当の意味で自分のことを肯定していないと立てないということがあったんですが、90年の4月8日、花祭りの日、仏陀の誕生日にドイツ文化研究所という所で初めてのコンサートをしました。
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コンサートをする頃には、応援してくださる方も増えてきて、TMのレジデンスコース(合宿コース)でお会いする方たちが皆で応援してくれて300人位のコンサートをすることができたんです。その時レコーディングしたものが「ムーントーク」というCDになってリリースされています。 |
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マスメディアやレコード業界のシステムに則らないやり方をしてきたにもかかわらず、そういう業界の中にも僕の音楽をすごく評価してくれる人も出てきて、ある時NHKの番組のプロデューサーが、音楽の制作を依頼してくれたんです。NHKスペシャルの「家族の肖像」のテーマ曲や「九寨溝」、毎週日曜に放映されているNHK教育テレビの「こころの時代」のテーマ曲があります。
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2000年には「Feel」というオムニバスCDが東芝EMIから出され、唯一インディーズレーベルのアーティストとしては採用されました。発売以来「Feel」は200万枚近く売れています。不思議といつも何かにサポートされながら、とてもラッキーなことが続いていい形で今に至っています。
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| ユートピア: |
まさにTMとともに、という感じですね。 |
| ウォン: |
TMを初めた人の中でも最もラッキーな一人なのじゃないかと思います。(笑) |
| ユートピア: |
SATOWA MUSICを立ち上げたのはどのような思いからですか。 |
| ウォン: |
そのうち、自分の音楽活動というものをもっと誠実にやりたい、もっと手応えのあるものとしてやってゆきたいという思いが湧いてきました。というのは、レコード業界、マスメディアのシステムというものが、自分の音楽を作ったり、広めたりする方法にそぐわない。血の通ったもの、心の通ったものをオーディエンスに届けてゆけるとは思えませんでした。 |
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音楽を作り上げてゆくなかで、音楽を通してオーディエンスに何を届けたいのか、ということを考えた時に、最も大切にしているものが流通システムの中ではそぎ落とされてしまい、自分が最も大事にしているものがなくなってしまう、という感覚があったんです。かつて、レコード業界の中にいてそれをすごく肌身に感じていました。レコード業界の中では、制作費の予算から割り出されるスタジオの使用時間や制作期間の制限、レコードがリリースされ、ある程度のプロモーション経て販売目標を達成するとそこで終わり、というかたちなんです。商品という考え方ですね。もちろんCDは商品なんだけれども、もっと違うものを込めたいと思いました。
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本当にやりたい音楽を理想的なやり方で時間をかけてやっていきたい。既存のやり方では無理だったので「インディーズレーベルでいこう」と思ったわけなんです。そのためには、演奏能力があるだけではなく、レコーディングのシステム、レコーディングの技術、それをパッケージにしてCDにするノウハウ、販売してゆくノウハウも勉強しなくてはいけない。すべてゼロから勉強し直してやっていったという感じです。
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そこで妻と二人ですべて手作りでやろうとCDの制作から販売まで直接オーディエンスに届けようと築き上げたのが現在のサトワ・ミュージックなんです。「サトワ」というのはサンスクリット語で調和・創造・純粋という意味です。「サトワ」な音楽を作る。「サトワ」を皆に届けるという願いを込めて名付けました。
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制作から販売までするという、いわゆるインディーズレーベルは今では珍しくありませんが、当時はまだ殆んどない状態でした。ですから、何も無いところから手探りで一つ一つやり始めたわけです。とても大変ななかいろんな人に応援され、支えられてきました。
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たくさんの人に応援していただいたこと、特にTMの人たちのネットワークに支えられましたし、ちょうど癒しブームが始まった頃でしたので色々なところで取り沙汰されたということもあります。
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| ユートピア: |
独自の販売チャネル、企画制作から販売まで手がけることができる音楽の産直システムですね。 |
| ウォン: |
レコード会社ではとてもできないことが、できてしまうんです。例えば妻が手がけるCDのジャケットひとつをとっても、販売する上でコストや手間が掛かってしまって販売というルートの中にはのせられないようなことでもインディーズではできたりします。今では、SATOWA MUSICの販売システムは、業界の人からは非常に理想的だとよく言われます。 |
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確かに一人のアーティストとして大きくなってゆくにはマスメディアや業界のシステムやルートを使わざるを得ないところもあります、例えば「Feel」の例のように売れたりすることもあるでしょうけれど、僕にとっては、あくまでもおまけの部分だと考えています。その様なルートというのはいつでも壊れる可能性があります。ある意味では利潤を上げるための欲望のシステムが働いているので、お金ではないピュアなものを届けるには当てにはできないという感覚があります。僕のなかにある基本は、あくまでも小さくとも本当に理解してくれるネットワークを大事にしてゆくということです。これは、いつも自分に言い聞かせていることです。既存の流通システムを越えたシステムを作ってゆく方法があるのかというテーマを今リサーチしてゆかなければと思っています。
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| ユートピア: |
音楽家のウォンさんがとても大切にしている、宇宙的な知性を感じる非常にデリケートで洗練された感性とインディーズ レーベルを作って販売していくという実利的でビジネス的な面を考えることというのは、ある意味では相反する要素のように思いますが、どのようにバランスをとっているのでしょうか。 |
| ウォン: |
音楽の価値はお金には換算できないけれども高すぎもしない安すぎもしない、その時々に見合った、関わる全ての人にフェアーなバランスというものがあると思うんです。僕の音楽に対して心を込めてお金を支払ってくれる、感謝を込めてそれをいただき、いい音楽で返したいと思う、お金を介して聴く人達と心を通わせていくとき、本当にお金というものが輝いていく、お金というものに人の気持ちをのせることができると思います。 |
| ユートピア: |
共に与え合う健全な経済循環の姿ですね。ウォンさんの調和的で美しい音楽と重なるものを感じます。音楽で培った感性が経済観にも反映されていているような気がします。 |
| ウォン: |
肯定性というのがとても大事なんだろうなと思います。時や場を同じくして縁をもった人たちそれぞれの立場や、役割の違いを認めて受け入れることが大切なんじゃないかなと思います。 |
| ユートピア: |
今後は、どのような活動をされるのでしょうか。 |
| ウォン: |
そうですね。癒しブームのような一過性のものが終わって、これからがある意味で本当に音楽家としてどういう活動がやれていけるのかが問われてくると認識しています。とりあえず瞑想かなと、一ヶ月程瞑想したいなと…(笑) |
| ユートピア: |
その辺がさすがですね。(笑)ウォンさんはヴェーダの森(那須の瞑想センターの愛称)ができて以来、かなりの頻度でレジデンス・コースにも参加されていますね。 |
| ウォン: |
那須に来て、瞑想を始めて二日、三日と続けていくと日常の瑣末なものがはがれていってものの本質だけが残っていくというところがあります。自分が本当にやりたいことは何なのか、「宇宙の意志」は一体なにをさせようとしているのか、瞑想を重ねてゆくと段々わかっていくんです。 |
| ユートピア: |
ウォンさんが聴衆に届けたいものとは何ですか。 |
| ウォン: |
その人が音楽で楽しみたい、と思う人であれば楽しい音楽になるでしょうし、その人が音楽で儲けたいと思っていれば、そのような音楽になるでしょう。音楽家にとって音楽は鏡なんだと思うんです。人がどう音楽にかかわるかによって音楽というのは千変万化なんですね。いろんな音楽を聴くなかでどうしようもなく惹きつけられる価値のあるものを若い時に見つけて、それをどうしても音として表したいと思ったんです。その時にその音に惹きつけられながらも、なぜ表せることができなかったのかというのは、僕自身がその人の様ではなかったからでしょう。 |
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瞑想の体験を深めることによって自分の一番心の奥底にある最も純粋なものにアクセスできるようになって、その純粋性が音楽に触れ会ったときに純粋性が音として刻印される、ということに気がついたんです。音としてその純粋性が刻印された時に、音は聴き手の耳を通して心の一番奥底に入っていってその人のもっている一番奥底にある純粋性を活性化するんだということもわかってきたんです。音楽を通して一番やりたいことがあるとするならば、まさしく聴く人の純粋意識を活性化したいことなんじゃないかと思うんです。
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| ユートピア: |
すばらしいですね。純粋意識と純粋意識を結ぶ音楽ですね。
ウォンさんの曲作りや、演奏についてもう少しお話していただけますか。 |
| ウォン: |
作曲するときには、先ず即興するんです。即興しているときに、あるどうしても忘れられないフレーズにたどり着く時があるんです。それが作曲の最初におこることなんですけれど、そのメロディーというのが、自分のその時と重なり合う感じがするんですね。どんなにシンプルなメロディーでも、どんなにかつて聴いたことがあるようなメロディーでも、その時の自分にあう、自分の心にあう瞬間というものがあって、それを記録したものが曲になっていくんです。瞑想は毎回リセットしていくようなところがあって、何度も何度も弾きなれた曲が、瞑想した後は、とっても新鮮なその時にしかありえない輝きをもって目の前にあるので、何度演奏しても飽きない。逆に言うと音楽の本質ってそういうものなんじゃないかと思うんです。ひとつのメロディーがあります。もしくは、ひとつのリズムがありますよね。三連なら三連、四分音符なら四分音符、それは永遠音楽をやっている限り一生付き合う音じゃないですか、年を増すごとにどんどん上手くなって「もう、三連なんてばかばかしくて弾けないよ」なんて言えない訳ですよ。変な話だけれど、それくらい三連とか四分音符そのものに永遠に朽ち果てない、永遠に飽きることのないエッセンスをそこに注ぎ込むことができると思っているんです。そこが瞑想のすごさですね毎回人生をリセットしていくような…。もう一度本来の自分に戻っていくというか…。 |
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自分の音楽は、周りの人にはとても映像的だと言われるんだけれども、自分自身は映像を感じて演奏したことはないんです。演奏しているときに何を一番感じているかというと、時間の流れなんです。日常的な時間の流れではなくて、エーテルのような濃密な時間の流れのような、たとえて言えば雲なんかが、ゆっくり流れていく時間の流れだったり、川がとうとうと流れていく時間の流れだったり、海のよせてはかえす波の繰り返しの時間の流れ、そういう時間の流れを感じたいというか、演奏している時に一番大事なことの一つというのは超越的な時間の流れがそこに感じられるかどうかということなんですね。(エーテル:光を媒介する媒質、存在は確認されていない。ここでは"空気感”のような意味合いで用いている)
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音楽だけではなくて、ものを捉えていくときに、流れていくものの一つとしてみているということがあります。情の問題や、お金の問題も何一つ留まるものはない。すべては流動していて、その中で逆に言えば留まった瞬間に見えなくなる、動いているからこそ感じられる。そういうものではないかなと思うんです。宇宙の知性と言ったときも、宇宙そのものを言っているというよりは、本体はわからないんだけれど、いろんな流れのなかに形跡や波動だけが、その周りに包んでいたりするもの、流れていたりするものがある、という風に感じます。
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純粋意識も、純粋意識そのものになると無になってしまうから感じなくなる、でもそこから出てきたものが、純粋意識の質がどういう形で現れてくるか、そのとき初めて、これが純粋意識の質だよねっていうふうに捉える。流れのなかにその純粋意識の現われを感じがしてしょうがない。その人の微笑だったり、言葉だったり、絵のような形になっていても何かの流れの一瞬を留めているというような感じがするんです。
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TMを始めてから、本当に自分が出したいと思う音を出せるようになっていきました。それまでは技術を磨いたり、技術を高めるためにいろいろな練習をするんですけれど、そういうことよりも瞑想した方が上手くなったんです。いい演奏をするために技術的な問題だと思っていたことが、瞑想を始めてからは実は問題ではなかったことに気がつきました。どういうことがそこに働いてそうなったかは分からないのですが、身体が浄化されて自分の思ったことが直接的に指を動かすようになってきたということもあるかもしれませんし、自分がほしいと思った音が自然に鍵盤に伝わってゆくようになっていきました。バラバラになっていたものが自然な統合されたひとつの音として出ていくというのか。複雑なものがとてもシンプルに統合されて音として出ていくように感じています。
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| ユートピア: |
その音は成長し続けていると感じていますか。 |
| ウォン: |
確実に成長していると感じていますが、技術力や音楽性が成長していろんなものが変わっているなかで、あるエッセンスそのものは変わらないと感じています。 |
| ユートピア: |
聴衆への伝わり方に関してはいかがですか。 |
| ウォン: |
その音に純粋意識が息づいているかどうかは、たぶん、どんな人にもわかると思います。 |
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プロは評価の基準というものを持っているけれどもオーディエンスは「何か惹かれる」、「この感じ好き」、「心が穏やかになる」というように、純粋に感覚でとらえて音楽を聴きますから嘘はつけないですね。
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もし、世の中の人達の中に純粋意識に基づいた価値観が広がり、TMを実践していってピュアになって、純粋意識を活性化してゆくことが本当の幸せなんだ、という人が増えてゆけば音楽の世界も変わってゆくでしょうね。 |
| ユートピア: |
純粋意識から音楽を奏で、聴衆の純粋意識が活性化し、更に音楽に求められるものが高まり、演奏者がそれに応えるという相乗作用ですね。 |
| ウォン: |
今の社会システムは、一部に物質的な豊かさをもたらせた一方、人間本来の生き方から逸脱して色々な心の問題を生み出しました。 |
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人間の生き方そのものが物質的なものから、スピリチュアルなもの、宇宙の知性に基づいた生き方が大切になってくる時代にはいってきていると思います。音楽活動を通じて、あるいはもっと具体的なもので新しい生き方を提言していかなければならないと思います。
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| ユートピア: |
音楽活動で社会の調和を高めていくということですか。 |
| ウォン: |
癒しを与えるものとしての音楽という観点からは実際はとても無力なものだと感じています。音楽によって聴き手が、「あー、いいな」と思って純粋意識が活性化されるようなことがあっても、言葉として認知されません。その人が音楽家になるわけでもないし、そのことをきっかけに瞑想を始めるわけではないので、その人が心を癒していく次の段階へのプロセスとしては、初期的な段階のところにしか関われないのではないかなと思っています。 |
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一方で音楽というのは聴く人の心を開いていく力があって、どんな人にでも受け入れられていくというところがあります。言葉というものを拒否しても、音は許していくということがあります。
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人が生きていくプロセスのなかで、言葉にできない色んな思いや感情が積み重なっていって、心の奥底にしまわれて表現されないでいると思うんです。それが、ある時一瞬のうちにそれが許されていくというか、自分のなかで「イエス」と言ってあげられる、フッと緊張して抑えられていたものが、ある一瞬、こころの鍵のようなものがパーンと外れてパーッと吐き出されていくことがあります。どんな人でもどこかにそういうものを持っている、そういうもの抱えながら生きているという風に思えるから、もし、「癒し」という音楽の持っている力があるとすれば、まさしく心の奥底にある鍵をポーンと解いてあげる、緊張を解いてあげる、そういうことを可能にする瞬間でしょう。そういうことができる音楽を僕も作っていきたいし、演奏していきたいと思っています。
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それと、音楽家として音楽だけではなく、自分のライフスタイルそのものを提示していくことも大事なのではないかなと思っています。そこからオーディエンスが音楽以上の何かを理解してくれることもあるのではないかなと思っています。
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音楽家として音楽に関わっていって、音楽を聴いてもらえばいいという考え方もあるんだけれど、僕の場合一人のアーティストの生き方全体として理解して、丸ごと受け入れてくれて、僕を見守ってくれる多くのオーディエンスに恵まれていると思うんですね。
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| ユートピア: |
本日は、ウォンさんの素晴らしい「至福の旋律」を聴くようなお話しを伺えてとても楽しかったです。どうもありがとうございました。 |