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先週11月24日25日にジャズのグループのリハーサル&レコーディングを しました。 私にとって29年ぶりのジャズグループの再結成です。 今までの私のジャズミュージシャンとしての経緯をかいつまんでお話します。

私がプロのミュージシャンとして世の中で演奏し始めたのは19歳の時、 ジャズピアニストとしてでした。 新宿にあるピットインというジャズクラブで演奏していたのですが、 その時のメンバーが森泰人氏(ベース)と市原康氏(ドラム)でした。 私の音楽は稚拙だっただけでなく観念的で独りよがりなものでした。 音楽(ジャズ)を否定性の発現の道具、反逆精神の退廃的な表現として しか見ていなかったのです。 要するに音楽なんてどうでも良かったのです。

一緒に演奏するメンバーに対しても人間的な心をもって接していたとは とても思えないものでした。 ほんと、ひどいですね。 コミュニケーションなんて少しも信じていなかったのですから。 そして2年ほどすると私の音楽は当然挫折し、それ以来人前でジャズを 演奏することは滅多になくなります。 グループも解散し、その後同じメンバーで演奏することはありませんでした。

そして、私は表現活動をやめ、食いつなぐために、いわゆる業界の裏方として、 スタジオミュージシャンになり、コマーシャル音楽の作曲や編曲などするように なるのです。 それから長い長い迷いの時代に入っていきます。 「錯綜と迷妄の時代」と自ら呼ぶその時代はとても苦しいものでした。 37歳に「瞑想」に出合うまでそれは続きました。 否定の時代から肯定の時代へシフトしたのです。 何もかも変わって行きました。 人間関係、健康、音楽、すべて今までとはまるで違う世界に入ったようでした。 すべてが肯定的なものに変わっていき、自分が宇宙に導かれていることを 強く感じられる毎日が訪れるようになったのです。

そのようないろいろな変化の中で特筆すべきは、かつての否定的な時代に 出合い傷つけ別れてしまった人たちと再び出合い、この時代に地球の日本で 出合ったことの本当の意味を確かめあう、といったことが頻繁に起こるように なったことです。 かつて私の人を人とも思わない言動に傷つき別れていった人々が、 何かのきっかけで再び出合うのです。 そして私を許し暖かく抱擁してくれるのです。 及川恒平さんもそうだし、風の楽団の山本公成さんもそうです。 彼らとの再会はCD「みどりの蝉」や「アースプリーツ」となりました。

そして今回のジャズグループはなんと29年前、私が初めて結成した自分の グループと同じメンバーなのです。 29年前、解散した後、彼らの道のりもけして生やさしいものではなかった はずです。 しかし今ではそれぞれ自分の世界を切り開き、すばらしいミュージシャン として世に名を出しています。 ベースの森泰人氏はスウェーデンやヨーロッパ各地で活躍する押しも 押されもしない大御所になりましたし、ドラムの市原康氏もスタジオ界で ジャズからロックまで何でもこなすことができるテクニシャンとして名を 馳せています。

今回のセッションが私にとってどんなにエキサイティングで楽しいもので あったか、皆さん、想像して下さい。 そして彼らが私をどんなに暖かく受け入れてくれたことか。 29年のブランクが信じられないほどのアンサンブルを刻みだし、 たくさんの可能性を残したセッションだったのです。 そして来年5月頃、改めて本格的にレコーディングすることになりました。 それまで私はたくさん勉強して彼らに負けないいい音楽を作りたいと心に 誓いました。 この世界はなんと驚きと喜びに満ちた偶然の連続なのでしょう。

1998年12月3日  ウォン・ウィン・ツァン




グループWIMについて,ジャズグループのレコーディングとコンサート。

若輩の時に挫折し、やり残したジャズへの想いを、 この歳になって、もう一度挑戦しようとすることは、 いったいどんな原動力は働いているのでしょうか。

あの頃、私にとってジャズは音楽ではありませんでした。 ジャズも音楽もどうでもよかったのです。 ジャズを演奏することは、反逆や否定の代償行為だったのです。

でもジャズにも音楽にも、 もしかして本質というものがあるかもしれないと思い始めたとき、 私は音楽に挫折したのだと思います。 今までのやり方では違うと思い始めたとき、 それは挫折であると同時に、 新たに音楽を求めての出発でもありました。

それから20年もかかってから私の音楽は始まりました。 そして今なら本当の音楽としてのジャズを演奏することができるのかもしれない。 そのように思い始めたとき、スウェーデンにいた森泰人氏や 市原氏とコンタクトがとれるようになりました。 彼らは私が19歳の時に一緒に演奏し始めたメンバーでした。 彼らとの再会なくして、今回のレコーディングやコンサートはあり得ませんでした。

しかし、30年ジャズを演奏し続けてきたミュージシャンなら 誰でも持っているような習練や熟練というようなものが私にはないのです。 今回の私の演奏は技術や知識の未熟さと50歳なりの老成が混在して、 とてもアンバランスなものでした。 森氏と市原氏はそんな私の未熟な演奏にも忍耐強くつきあってくれました。 コンサートではそれをわかって上で応援してくれたお客様が いらっしゃると思います。

限界と可能性の狭間で揺れ動いていたのですが、 でも今はもう、何か気が済んだように思えます。 レコーディングとコンサートはそれなりに大変でしたが、 自分が音楽の中にいる(We In Music)ことの至福を味わい続けることができました。 それは森氏や市原氏にも同じように思ってもらえたようです。

そのような音楽環境を作る上で、 私たち以外のスタッフの存在も忘れることができません。 ミキサーの森卓也氏、調律の中村幸己氏、美枝子さんと美音志、 コンサートでは、舞台監督に中小路氏、舞台スタッフの大槻氏、 音響スタッフ、照明スタッフ、撮影の岩切氏、水野氏 ロビーでは酒井さんほかリトルウィングス、加藤先生 CD販売の小野寺氏、などなど、、、 この場を借りて心から感謝したいと思います。

このグループに名前が付きました。 ウォンのW、市原氏のI、森氏のMをならべてWIM(ウィム)と言います。 またこれはWe In Music(ウィ、イン、ミュージック)と言うことでもあります。 CDは9月までにはリリースしたいと思っています。 是非、応援してください。

1999年5月27日  ウォン・ウィン・ツァン


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