ウォン・ウィンツァンのCD「海より遠く」のレビューが
『週刊金曜日』2003年11月7日No.483号、「きんようぶんか・音楽」欄に 掲載されました


評者 = 後藤 誠 ごとう まこと  音楽評論家
海より遠く
ウォン・ウィンツァン
2940円(税込)
STW-7016

 他の産業同様、音楽業界でも、合併・統合の話しはとどまることを知らない。才能あるアーティストや幻の名盤の発掘は、時代やジャンルに関係なく行なわれているが、大企業の場合は、次なる流行をどんどん仕掛け、大量消費につながる商品を世の中に送り出してきた。戦後の高度成長期からバブルの絶頂期まで、比類なき成長と経済的な成功をおさめてきたこのシステムが、「成熟」の時代といわれる21世紀にもそのまま通用するかどうかは、誰にもわからない。

 こうした大量消費路線とは対照的に、かつて一世を風靡したベテランのアーティストが、次々と自分のレーベルを立ち上げている。こちらの動きは、着々と進んでいるようだ。音楽面のみならず精神的にも成熟した彼らは、新しさと変化の速さに重点をおいた企業の論理と、あえて距離をおくことで、本来すべき創作活動に打ちこんでいるようにみえる。
 いまから12年前、自主レーベルを立ち上げたウォン・ウィンツァン(黄 永燦)も、そのひとりだ。大手レコード会社がこぞってヒーリング・ミュージックのコンピレーションCDを出しはじめた2000年、ウォンはただひとり自主レーベルのアーティストとして作品を提供した。そのとき、その気さえあれば、前述のシステムに乗るチャンスはいくらでもあったに違いない。
 彼の作品群を眺めると、ピアノの即興演奏から、魅力的な旋律をもったオリジナル曲集、童謡をテーマにしたものやジャズのトリオと、一見、多彩であるかのようにみえる。だがどの作品にも、彼ならではのゆったりとした時間が流れている。
 ウォンが表現する音の世界は、じつに精妙で、どこまでも絵画的だ。彼のピアノについて「はじめて聴く演奏なのに、かつてどこかで聴いたような懐かしさを覚える」という声や「脳裏にいろんな情景が浮かぶ」といった意見をよく聞くのは、そのためだろう。
 『海より遠く』は、ウォンが1年4ケ月ぶりに発表したオリジナル曲集。彼はこの作品で、これまでに手がけてきて、自分のアルバムに収録したいと思ってきた作品を新たに録音し直した。NHK教育テレビ「こころの時代」のテーマ曲、映画『朋の時間〜母たちの季節〜』の音楽、某化粧品のイメージソングが、それに該当する。次に、新たに書き下ろした楽曲を四編加えることで、このアルバムを完成させた。
 これまでの作品ではピアノを基調に、控えめなシンセサイザーを加えたものが多かったウォンだが、今回はいくつかの曲でメロディカ(鍵盤ハーモニカ)を演奏している。生々しい息遣いを感じさせる独特の音色をもつメロディカが加わることで、これまでの作品にはない斬新なニュアンスが出ている。
 もうひとつ特筆すべきは、彼の息子である美音志の参加だ。これは「父子の共演」というより「二つの才能の邂逅」とみるべきだろう。作品全体の深みと幅が増した印象を覚えるのは、両者の個性が自然な形で融合しているからだ。「月に触れた」の二つのヴァージョンを聴くと、ピアノとギター、父と息子の違いがよくわかる。
 レコーディングは「自分の心を鏡に映し出して細部まで検証するような作業」だと、ウォンは語る。だが聴き手にとって、彼の音楽に対峙する行為もまた、自分の心を鏡に映し出す作業のような気がする。流行の音楽、使い捨ての音楽、道具としての音楽ではなく、普遍的で深遠なメッセージをもった音楽。そうした音楽に接することで、聴き手は、自分らしさを取り戻したり、自分らしさを確認することができる。そんな手ごたえや醍醐味を味わえる音楽を求める人は、たくさんいるはずだ。ウォンの音楽には「成熟」の時代を生きるためのヒントが隠されている。
『週刊金曜日』2003年11月7日No.483号 掲載
『週刊金曜日』03-3221-8521
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