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では、人を狙っているわけではない地雷があるかというと、あるのです。
「対戦車(車両)地雷」と言われるもので、数百キログラム以上の重量に反応するように作られています。
(対人地雷は、だいたい500g〜10kgの圧力で作動します。)
ですから、この「対戦車地雷」はふつう人が踏んでも爆発しません。
もっとも、人が踏んでも爆発するように改造するのは簡単ですが・・・
「対人地雷廃絶条約」 |
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「条約」を作り上げ、「この条約に参加して、対人地雷をもう二度と作らないように、使わないようにしよう。」と世界中の国に呼びかけました。
この条約は、「対人地雷廃絶条約」「対人地雷全面禁止条約」などと呼ばれています。
現在91カ国が批准し、地雷の生産を止め、持っている対人地雷を処分したり、埋めてある地雷を取り除いたりしています。
私たちの国日本は、45番目にこの条約に加入しました。自衛隊の持っている100万個の対人地雷も、むこう4年間のうちに破棄処理することが、条約によって義務付けられています。 |
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−人を殺したり傷つけている大砲や、機関銃と何が違うのでしょう?− それは、「無差別」に「必要以上の苦痛」を与え、「長年にわたる深刻な影響」 を及ぼし続ける残虐な兵器であるからです。 |
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「無差別」
対人地雷は、だれが踏んでも対人地雷です。
戦争や紛争の時に敵の兵隊を狙って埋めた地雷も、一般市民が踏んでしまえばやはり爆発します。
戦っている軍人も、たきぎをひろっている村人も、遊んでいる子どもも、誰でもかまわず殺傷する兵器であるという点では、原子爆弾と同じです。 |
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「必要以上の苦痛」
対人地雷にはさまざまなタイプがあります。
中には、わざと死なない程度に爆発するように作られている地雷もあります。
犠牲者が死なない程度、障害を持つようになる程度に爆発をおさえておけば、
犠牲者を病院へ運ぶために、仲間の兵士までをも戦場から撤退させることができるからです。
小型の地雷であれば、膝下の損傷にとどまることもあります。
相当の傷を負わせる大型の地雷でも、即死しない程度に加減してある場合があります。
もし地雷の被害にあったら
誰かが見つけて遠くの病院まで運んでくれるまで、長い長い時間、想像を絶するショックと激痛が、
不衛生な環境の中で犠牲者を苦しめます。
アフガニスタンでは、病院までやってくることができた地雷犠牲者の75%以上は、
到着するまで6時間以上かかっていたという調査結果があります。
そして・・・犠牲者はその後の人生を、失った手や足の記憶とともに生きていかなければならないのです。 |
「長年にわたる影響」
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「地雷があるのは知っていた。でも、畑を耕さないと、たきぎを取らないと生活できない。」
世界に埋められた地雷がすべて取り除かれるまでの長い間、犠牲者は増え続けます。 | ||
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すでに世界には、信じられないほどたくさんの地雷がまき散らされてしまいました。
その数は6千万〜7千万個ではないかという見積りがありますが、本当にそうなのか、誰にも分からないのです。
ただ、地雷の数より大事なことは、どれぐらい多くの人が日々地雷の脅威にさらされているかということです。
いま必要なのは、人々を地雷から守り、犠牲者を援助する包括的な対策です。
次の4つが含まれます。 |
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| 地雷探知 | : | 地雷がある地域を調べ、特定します。 |
| 地雷除去 | : | 埋められた地雷を取り除きます。 |
| 地雷回避教育 | : | 地雷に関する知識や対応のしかたを人々に伝え、地雷の恐怖を軽くします。 |
| 地雷犠牲者支援 | : | 犠牲者に手術、リハビリ、義肢を供給したり、社会への復帰を援助します。 |
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49歳のTと69歳の彼女の母は、路上やレストラン、店で物乞いをするために家や孫達に別れを告げて、
バッタンバンの町にやって来た。
偶然に行き会った彼女達をインタビューのため赤十字国際委員会義肢センターに招いた。
Tはシエム・リァプ県トゥク・ブル村の出身で、我々に対し、自分達はこうするしかなかったと語った。
「ウチの亭主は1979年に私が足を無くしてからは、私と子供達を見捨てて、今じゃ新しい女房と暮らしてます…
亭主とはもう何年も会っていません…。」
彼女に寄り添うように座る母親はTが地雷を踏んだのは妊娠4ヶ月の時だったと補足した。
彼女の19歳になる息子は農夫で学校には行ったことがない。
Tの上の娘には、娘が一人と息子が一人いる。彼等は皆一緒に暮らしている。娘婿は数年前に病死した。 1979年カンボジアはベトナム兵により侵略された。 田舎の人々はベトナムの専門家により頻繁に開催される「精神鍛練」と呼ばれる会合に出席しなければならなかった。 不運にも、1979年初頭にスヌウル・パゴダ居留地で開かれた会合の休憩中に、 他5人の女性達と共に会場から30メートル程のところに用足しに出て、地雷によって負傷したのだ。 「足は失くしたけれど、頭がおかしくなったわけではないので…最初は自殺も考えたけど、 亭主がお前の面倒は見るって約束してくれたから…でも、今じゃ何もかも変わってしまった…」 彼女は、ベトナム軍後援で医薬品も支給している、モンコル・ボレイ病院に25日間入院した。 Tの口調は過去の辛い記憶は思い起こしたくないようだった。 「亭主は私を捨てただけじゃなくて宝石や牛まで持って行っちまったし、 ウチの収穫はここんとこ続いた干ばつや洪水のせいで家族の食い扶持には足りなくて…。」 彼女たちは家を出てから、バンテアイ・ミエンチャイ県までは長距離を埃っぽいでこぼこ道をトラックで、 そしてバッタンバンまでは列車でやって来た。 運賃を支払わずに、彼女たちは運転手達に無賃乗車を見逃してくれる様頼んだ。 「出てくる前に近所の人達から少しばかりのお金 (10 USドル)とお米を少々借りたんですよ。」Tの母親が言った。 二人は午後5時にバッタンバン鉄道駅に着き、他の物乞い達と一緒に不潔な駅の敷地内で眠った。 彼女たちの衣服は一晩中濡れたままだった。 バッタンバンにはどのくらい滞在するのかという問いに、Tは多分10日くらいだろうと答えた。 今度は赤十字国際委員会で新しい義足をもらうために戻ってくるかもしれない。 彼女は義足と松葉杖は人生最高の友だと言った。 |
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(お問い合わせ) 日本赤十字社:TEL. 03-3438-1311(代) http://www.jrc.or.jp |
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